日経新聞2日の記事「昭和99年ニッポン反転」に、考えさせられた。将来のノーベル賞候補にも挙がったことがある山内悠輔氏が、東京大学、東北大学、九州大学などの教授選考に10回も門前払いを受けたとのこと。その後豪州の名門大学にメール1通で教授に採用され、昨年4月に名古屋大学の世界の権威を招く制度の第1号に選ばれ、目出度く教授に就任したとのこと。大学教授というと、日本は講座制で閉鎖的なイメージが強い。教授が全権を握り、教授が退任するまで准教授は教授になれず、ましてや外部からの立候補は不可能と思っていた。ところが、友人の熊本大学名誉教授によると、最近は選考がクリヤーになっていると言う。教授が必要となると、まず教授選考委員会が組織される。どこの地方の大学のどの学部の公募も応募者が100名、あるいは500名となることは当たり前。業績リスト、インパクト・ファクター、抱負などが点数化され、総合点で順位が付けられる。最後に面接で教授としての資質や人格が問われ決定されるという。そこで、山内氏が何故日本の大学に門前払いを喰らったのかを考えてみた。恐らく、教授は誰も辞めないので空きが無かったのだろう。大学にはしょうも無い教授を辞めさせるシステムが無いのだろう。最悪なのは、研究者の真贋を見抜く力が無いということなのだろう。
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