日本の学術は浮かばれない

内閣府の有識者懇談会が、日本学術会議は国とは別の法人格をもつ組織にするのが望ましいとの中間報告をまとめた。でも、その論理は単純だ。学術会議の機能は、政府などに対し、独立した立場から客観的で学術的・科学的な根拠にもとづく助言をすることだから、政府の方針と無関係に、可能な限り高い独立性を保つべきだ。従って、学術会議が政府の機関であることと矛盾するので国から切り離して法人化するのが望ましいと結論した。しかし、創設当初から、学術的・科学的な根拠にもとづく助言が政府の方針と合わない可能性はあった。助言するのだから、端から合うはずが無い。合わないから存在価値があったとも言える。でも、何故今になって国から切り離すのだろう。戦後早々に創設された学術会議は、いつも政府とのイザコザを抱えてきた。でも、国と切り離す今回の話が出たのは、菅政権時代の任命拒否が発端だ。当時騒がれたが、菅は未だに拒否した理由を語らない。学術会議の一員が親中過ぎるとか、軍事研究を拒否しているためとか言われているが、真相は闇の中。菅が拒否の理由をまな板に上げ、国民的議論を始めることこそ、日本の学術は浮かばれるというものだ。