お茶の子さいさい

年が明けて、初めに感じたことは政府の優柔不断さだ。この国は、このままでは先が無いと心底実感した。菅首相は、年末にコロナについて「対策を考えていない訳ではない」と繰り返し発信した。でも、実際に実効的な対策が打ち出されないのだから、結果として何も考えていないということだ。一言で言うと「優柔不断」。天下太平の時代であれば、その時代を頭の悪い政治家が牛耳っても、然程問題は生じないものだ。でも、コロナ危機が迫った今の時代では、臨機応変で、かつ的確な判断が要求される。菅は首相にそぐわない。でも、菅が無能だとは思わない。菅は元々陳情対応に機敏な政治家だと評価されている。その言で言えば、菅は時代遅れの古びた政治家なのだろう。だが現実は、菅は民の声を聞き過ぎて本道を見失って錯乱状態に陥っていると憶測出来る。結果として、今の一国を担う政治家としては、間違いなく失格と言える。何が間違いだったのだろうかを考察した。答えは簡単だ。安倍の失脚に伴う菅の後継という政治システムにある。国難に対峙出来るという観点で、次期首相を選ぶシステムさえあれば、コロナ禍などお茶の子さいさいであったに違いない。言葉の上では「お茶の子さいさい」だが、現実では変わりようがなさそうだ。