隣の空き地化で思うこと

書斎からの視野が急に拓け明るくなった。物理的に然程明るくなった訳ではないが、気分的に明るくなった。数年前には古びた家屋が目の前にあったが、取り壊されて駐車場に変わった。そして昨日はその隣家が取り壊されたて空き地になった。自分にとって明るく感じるだけでなく、支障が無い自由さを感じるようになった。障害物が無くなると、今まで隠れていたものも見えてくるものだ。そうか、我が家からは、今まで見えていたはずなのかとの一種の感慨が湧いてくる。こう感じると空想は止めなく広がっていく。たった2軒の取り壊しで風景が変わり心象も変わっていく。以前から自分の書斎から眺める風景はダサいと感じていた。蜘蛛の巣のように電線が覆い、隣家も迫っていた。一言で言うと「圧迫されている」という感じ。それが解き離れるのだ。そこで、更にこう思う。何故電線は我らを地上に縛り付けようとしているのだろうかと。電線が消えれば、その束縛も解ける。誰しも自由な空へと羽ばたけるのだと。西欧の都会は電線の地中化がとっくの昔に進んでいるが、日本は遅れている。こんなところに解があったのかととも思う。小池都知事は数千億円をかけて日本橋の上の高速道路を地中化するという。間違いなく、間違っている。電線の地中化こそ文化を進める術なのだと思う。