「踏み絵」と「忖度」

日本語の解釈・意味が変りつつあるようだ。「踏み絵」とは、ある事柄への該当者や反対者を燻り出すために用いる道具や手段をいう。自民党都連が小池都知事に都議選決起集会の招待状を送った。小池は自民党籍を持つ一方で、小池地域政党から多数の候補者を擁立する方針。自民は小池の態度を明確にするための踏み絵だと言っている。だが、小池は既に以前から自民に進退伺いを提出している。ボールは既に投げられて自民の方にある。小池の党籍を決める踏み絵は自民にある。その踏み絵を踏まずに、集会の出欠が踏み絵だと言うのは話の筋が通らない。自民は「招待状」ではなく「先送り状」を送るべきだった。「忖度」とは、他人の気持ちを推し量ることだ。森友学園問題で、安倍首相は「財務省が忖度していないことは明らかだ」と発言した。それに対し、松井府知事が「忖度が無いと強弁し過ぎている。良い忖度と悪い忖度がある。首相は悪くない忖度があったと認めるべきだ」と発言している。両者の「忖度」に関する理解が、対照的で面白い。安倍は、忖度を無言の圧力と捉えている。だから忖度などは無かったと弁明している。一方、松井は、忖度をアリバイ作りと考えている。政治家が官僚に対し、直接的な言葉で指示しなければ、火の粉を被ることはないと言っているも同然。政治の場で「忖度」という言葉が出た時点で、政治は腐敗している。政治家は、間違っても「忖度」などの言葉を使ってはならないのに。