見識と色眼鏡

毎年恒例になった会社の同期会に行ってきた。44年前東京の研究所に初任配属され、未だに昔のまま気が置けない仲間で仲が良い。7名のうち2名が喫煙者だった。自分は嘗てはヘビースモーカーだったが30年ほど前にきっぱり止めた。自分は意志が強い方だと自負している。ところが、その喫煙者が「強い意志を持ってタバコを吸い続けている」と言う。逆説的なギャグではあるが、なるほど一理はあると思った。人間は成長するに従い見識を高めていく生き物だ。喫煙は身体に悪いから当然止めるべきもので、自分を律することが一つの見識と思っていた。しかし喫煙者には喫煙者なりの理屈がある。見識とは、物事の本質を見通す優れた判断力やそれに基づくしっかりとした考えだ。高めれば高めるほど良いと思っていたが、そうではないのかもしれない。見識とは一種の色眼鏡かもしれない。その色を濃くすることも大切ではあるが、バラエティのある色に付け替えることが出来る多角的な視野の広さこそ大事ではないのかと気付いた。ギャグで目が覚めた同期会であった。