裁判員制度の改正を

求刑の1.5倍の量刑を言い渡した裁判員裁判の判決を、最高裁が重過ぎるとして破棄した。果たして裁判員はこの結果をどのように受け止めているのだろうかと心配になる。裁判員制度とは、市民の日常感覚や常識を裁判に反映させることと、法に対する国民の理解を増進する目的で始まった。米国の陪審員は有罪か無罪を決めるだけだが、日本の裁判員は有罪/無罪の判断と、刑の重さも決めなければならない制度になっている。元々素人の裁判員に刑の重さまで判断させることに無理がある。しかも市民の感覚を反映させろと言われれば、被害者の身になってより重い刑に流れやすくなるのは当然のことだ。最高裁は過去の裁判との公平性を確保するため過去の量刑を考慮すべきと言っている。だがそれを裁判員に求めることは酷だ。それは裁判を専門的に勉強している裁判官がやるべきものだ。今の裁判員制度は、単に裁判官がサボるためのものにしか見えない。最高裁の判決により、図らずも裁判員制度の大きな欠陥が露呈し確定してしまったようだ。制度を改正し、裁判官は本来の仕事に励むべきだと思う。