お茶の失敗数々

茶道は型から入り、型で終わるような気がする。御持て成しの心に達するには数十年かかりそうだが、それまで生きてはいられまい。茶道の教科書には代表的な所作は書いてあるが、初心者が失敗し易いことは書かれてはいない。点前に入る前に水屋で棗の正面を確かめるために、棗を左右に大きく動かしたので中のお茶の山を崩してしまった。茶杓で掬ったあとも綺麗に山が残るのが理想らしい。山が大切だ。水指を運ぶ時に指がカエルにように開いていた。女形になった心境で指は開かない所作が望ましい。湯を茶碗に汲む時に左手が脚の付け根になく膝頭を5本の指で覆ってしまっていた。自信を持って背筋を伸ばし姿勢を正せば脚の付け根に来るのだが、これがオドオドしている初心者には難しい。客側の時茶碗の底銘を見るため高くかざして見てしまった。高価な茶碗を万が一にも割らぬよう膝に肘を当て屈み込むよう拝見することになっている。日常の所作とはかけ離れている。後片付けの時、茶碗を洗うのは食器洗いと同じと思い、茶筅を建水の中に置いてしまった。水屋には茶碗用、お手拭用、建水用の3種の専用の布巾がある。茶碗は上水道、建水は下水道の認識が必要であった。只唯一失敗しなかったのは、畳の縁を踏まないこと。これは子供の頃から躾けられていたのでなんとかクリヤー出来た。茶道の稽古が茶番に終わらぬよう努力は続けたい。茶道は日本人としての日常の基本的な所作なのだから。