良き友がいないということ

自分は血の気が多い方ではないが推理小説物のテレビ番組をよく見る方だ。山村美紗、西村京太郎、内田康夫らの作品は殆んどビデオに撮って後日見ている。その物語の組み立てを考察することと真犯人を推理することが楽しいからだ。しかし最近は折角撮ったビデオをすぐ消してしまうことが多くなった。特に山村美紗の作品は劣化が酷く、妙にレベルの低い茶番劇に変質してしまっている。古い作品をいじくりまわした結果、才能のない脚本家にもお鉢を回したせいだろうとは推察している。そして山村作品と西村作品には必ず出演するヘボ役者がいる、その変質を更に助長させている山村紅葉だ。紅葉は美紗の子供で、山村と西村との間には赤い糸があるようだ。遺言か横車かは知らないが恐らく紅葉を出演させる終身契約をしているのだろう。親は子供が可愛い、食いはぐれないようにと案じるのは人情。しかし限度がある。親の作品を低級化させる子供と、デキの悪い子供を過保護に庇う親。最悪の構図だ。親または親代わりの立場であれば、今日の食い扶持よりも明日への成長を与える努力をするのが尋常だ。もっとも大人になった子供であれば、自分の立場は自分で判断し自分の行く道を切り開くことが出来るはずではあるが。結局辛口を言うことの出来る良き友が傍にいないということなのだろうと思う。残念。