研究できない大学教員

2002年/2008年比でみると、大学教員の研究時間が11%減り、教育の下準備が5%社会サービスが5%増えたとのこと。大学とは、学術の中心として広く知識を授け深く専門の学芸を教授・研究するための学校だ。しかしながら現実は、大学教員が本来やるべき研究が疎かになり、高校の学習内容の補習や市民講座に時間をとられているため論文数が伸び悩んでいるという構図らしい。広く知識を授けるためには高校のオサライが必要で、浅い専門の市民講座に汗を流しているため、研究の質が低下している。これではスパイラルに質が低下していくだけだ。まずは第一に研究の質を上げる努力をするべきだ。そのためには高校のオサライは自助努力に任せるとか、手間のかからない市民講座に衣替えするとか、どこかで悪循環を断ち切る必要がある。特に来年は団塊の世代が65歳になるので、勉強好きで時持ちの彼らが大挙して市民講座に押し寄せる可能性は高い。敷居の低い開かれた教える市民講座よりも、レベルの高い研究を目指した講座作りが必要だと思う。