今年の10大ニュースは、というのは在り来たりなので、今年の自分の3大出来事は何かを考えてみた。第一は星新一賞への応募だ。物書きになりたくて、文章表現の練習のためこのブログを続けているが、まさか本当に真面な文学賞に投稿する自分など考えたことはなかった。この賞は理系のための文学賞とのことで、自分にはお誂え向きだ。空想を膨らませSFのショートショートを書いてみた。自分なりの評価は85点でマアマアの出来。だが入選するには95点は必要だろうから、入選には程遠いとは納得している。来年はこの文学賞に限らず色々トライしようと思う。第二は茶道だ。今年から薄茶点前を習い始め、一通り曲がりなりにも炉も風炉も出来るようにはなった。だが一番興味があるのはお茶の前にする生け花。庭に咲いている草花を摘んできて、花器に生ける。葉が枯れていたり虫が喰っていたりしているところに趣がある。生け花は美を形成するための組み合わせ応用問題だと思う。形が決まると惚れ惚れする。日本伝統のわび・さびに接したような気になってくる。お茶もお花も奥が深そうだ。第三は、旅行。今年は生涯で3本の指に入るホテルに巡り合えた。一つは那須の二期倶楽部。広い庭とゆったりした朝食で悠久の時を味わった。もう一つは赤倉観光ホテル。眼下の雲海を眺めながら入った夜明けの露天風呂。自分がこの世にいるとは思えなかった。更にもう一つはしまなみ海道旅行。瀬戸内海は穏やかで綺麗だ。自分は山派ではなく海派であることを再認識した。こういう所に住んで釣りと物書きに没頭してみたいものだと思った。今年の自分の3大出来事に共通するものは、一言で言うとトライ。新しい未知の世界に飛び込むこととも言える。67歳にはなったが、まだ好奇心は旺盛のようだ。
朝来市の竹田城跡が、天空の城とか日本のマチュピチュとか呼ばれて人気上昇中だ。確かに雲海の上に浮かんだ城跡は幻想的で、是非行ってみたいと思っている。ところが余りの人気沸騰で観光客が鰻上りに増え、けが人が後を絶たないという。そのため朝来市は城壁の上部に安全柵を張り巡らしたのだが、折角の景観を台無しにしてしまった。更に麓から石垣が見難いというクレームに対応し、城壁下の常緑樹を伐採した。石垣は見えるようになったが、土砂が流出して石垣が崩れる恐れが出てきた。朝来市のすべき事は、安全柵の設置や伐採なのだろうか。朝来市が本来すべき事は、竹田城跡を観光資源として末永く残すことに違いない。そのためには、石垣の整備と景観の保全を最優先すべきだと思う。城跡は元々危険な場所だ。危険を危険だと知らせることと、安全を確保するための方法や心構えを徹底させることが重要だ。その上で安全は観光客にお任せするべきだと思う。もしペルーのマチュピチュに安全柵が張り巡らされていたら、世界的な観光地になっていたのかを考えれば、答えは自ずから決まっている。
自分は将棋観戦が好きだ。今年のNHK杯は録画して全て観たほどだ。今日は将棋の日ということでNHK杯の放送はなく特別番組だった。森内名人対羽生三冠の対局は見応えがあったが、その前に行われたプロ&小学生のペア対局が面白かった。いつもNHK杯対局を観ていて感心するのは、勿論その内容にあるのだが同時にプロの駒の手捌きだ。自分が駒をいじると右を向いたり左をみたり、酷い時はマス目からはみ出してしまう。だがプロは鮮やかな手つきでマス目の中の正確な位置に駒を進める。当然プロなる所以と思っていた。ところが、プロ並みの小学生は手つきは良いが駒がマス目に収まらない。必ず左斜めを向いてマス目を飛び出してしまう。小学生は粗雑なのだろうかと思ったが、そうではない。駒が指に吸い付いてしまっているようだ。年寄りの指先は乾いてガサガサだが、小学生の指先はしっとりしていて柔軟だからなのかもしれない。そういえば最近新聞を捲るとき指を舐めないとページを括り難くなってきた。老化は指先から始まるのかもしれない。
今年4回目の忘年会に参加した。今までの人生で自己最高記録は30回だ。その年は現役で仕事でも中心的に動いていたし、200名程度の職場集団のスポーツ文化活動のオピニオンリーダーとして頑張っていた時代だったから当然と言えば当然だったのかもしれない。リタイアしてから忘年会の数が急激に減った。今年の4回の内訳は、旧テニス同好会、大学クラス会、現平日テニス仲間、そして今日は現テニスクラブメンバー。テニス仲間に集中しているが、それぞれ顔ぶれも雰囲気も違う。若い頃の忘年会は、忘年会と名前は付いてはいるが忘年のための会ではなかったような気がする。忘年会に参加しながら、来年の抱負を語り合っていたことを思い出す。だが最近の忘年会は、文字通りに今年の出来事を中心に振り返る忘年になりつつあるようだ。考えてみれば当たり前かもしれない。15年前に入ったテニスクラブでは、年齢的に自分が若手に属していたが、今では上から数える方が早くなった。年を取るとともに忘年会の内容が変わっていくことは、年を取らないと分からないことなのかもしれない。
子供の頃ゲームの順番はジャンケンで決めるのがルールだった。どうしても勝ちたい時は、相手の手の内を見ながらほんの少し後出しをして勝とうとする。すると負けた方は必ず後出しはズルだから遣り直しだと揉めたものだ。ところが、いい大人になっても後出しジャンケンをする人がいる。都知事選立候補者たちだ。本来政策や方針に思い入れがあれば、先を競って立候補した方が優位に立てることになる。ところが近年の都知事選は、立候補期間終了ぎりぎりに立候補した者が当選する傾向にある。なまじ先に出て叩かれるより後の方がダメージが少ないとでも思っているのだろうか。またマスコミもぎりぎりに立候補した者に脚光を当てる傾向がある。どうも都知事選に勝つコツは中身のない美辞麗句を並べることと、ボロを出さないことにあるようだ。都知事選は将来を託す人を選ぶものではなく、単なる人気投票の場に成り下がってしまっている。立候補者も投票する人も質が落ちているということだろうと思う。
都知事選が民主を更に窮地に追い込むことになりそうだ。党勢退潮が甚だしく担ぐ候補が現れそうもないだけではない。都知事選が2月9日に決まったが、8、9日は福島で民主が定期大会を開く予定の日でもあった。定期大会は主要幹部は勿論のこと全国の地方議員も一堂に会する一大イベントだ。党再生に向けた議論の場と位置付けられていた。会場を福島に選んだ理由は、東日本大震災からの復興を重視する姿勢をアピールしたいがためだった。しかし今更民主が復興を重視すると言っても、福島県民は菅の不手際を思い出すだけでマイナスの効果しかないだろう。元々狙いそのものが間違っている。一方都知事選最終日の東京に幹部が誰もいなければ、増々退潮が目立ちリングの外に落ちこぼれてしまうかもしれない。民主は悩んでいるようだ。福島の定期大会を決行すれば、都民から忘れ去られた存在になってしまう。だが大会を変更すれば、復興重視というマヤカシがバレて2度と福島の地を踏めなくなるかもしれない。真面に考えれば、民主にとって党再生が最優先であろうから大会を決行すべき道しかないはずだ。都知事選最終日に都内でマイクを握る幹部は、党再生などは眼中にない人物と見るべきだろうと思う。
普天間の住民がやっと人質役から解放されそうだ。仲井真知事と安倍首相が話し合い辺野古移設に合意したようだ。普天間問題といえば、米兵少女暴行事件、米軍ヘリ墜落事故がありスッタモンダの結果辺野古移設が決まったが、その後民主党鳩山の「少なくとも県外に」の一言で振出しに戻ってしまったことで有名だ。民主から自民に戻りやっと前に進むようになってきた。真の妥協点は不明で知る由もないが、外堀は確実に埋まっている。県外以外は問答無用と言っていた知事も首相との会談に満足し、自民国会議員全員も辺野古に宗旨替えし、ネックになっていたとされる辺野古埋立て環境問題もOKの見通しになり、反対を表明していた名護市長の首も挿げ替えられることになったという。まさに急転直下の変わり様だ。今までの経緯を見ると、まだこれから一波乱あっても不思議ではないが、もうそろそろ打ち止めにした方が良い。長引けば沖縄に金は入るが、普天間住民の苦しみは続く。真に沖縄県民のことを考えればここいらで手を打つべし。それが首長の識見というものだろうと思う。
100切りを目指しているが、なかなか超えられないのがゴルフだ。今日はシングルハンデの師匠のお誘いに乗ってゴルフに行ってきた。師匠がメンバーになっているゴルフ場には3つのコースがあるが、今日は難しさで有名なコースだった。初めから100切りは無理と諦めていたが、その通りの結果に終わった。師匠は2人で申し込んだ。あとの2人は1人参加のメンバーをゴルフ場がアレンジしてくれる。ビジターの自分はメンバー3人に挟まれた格好ではあったが、楽しいゴルフだった。ゴルフ場では驚いたことが2つあった。1つは、子供がやけに多い。何故かと思ったら、石川遼杯なるものをやっていた。腕前はローシングルが多いとのことにもビックリ。もう1つは、女性が多かった。昼食の時周りを見回すと殆んどが女性だ。異様な感じがした。聞くところによると、今日は茶道関係者のコンペが入っているとのこと。最近の茶道は柄杓に拘らずクラブも握るようだ。今日のゴルフ場は、まるで子供と女性に乗っ取られてしまったようだ。ただ1つ、ホッとすることもあった。レストランには子供はいなかった。多分子供は青空の下で弁当を食べたのだろう。もし子供たちがレストランを占領していたら、きっと自分はクレームをつけに行ったに違いない。常識はギリギリの線で守られているようだ。
資金難で途切れていた全日本大学女子駅伝が再開された。今までは筑波や埼玉で行われていたが、今回からは世界遺産になった富士山麓が舞台だ。富士宮浅間神社をスタートに富士総合競技場までの43kmで争われる。フジテレビが録画中継していた。録画といえども食い入るように見いってしまった。何故なら、そこは嘗ての故郷だからだ。家族を引き連れて13年間、そして10年後の5年間の単身赴任生活を加えると計18年をもの長い間暮らした街だ。愛着がある。見慣れた風景が映し出される。あ、あそこだ、あの道だ、沿道には顔見知りの人はいないかと、駅伝以上に気になってしょうがない。勝負は実力通りに終始1位を守り抜いた立命館が優勝した。第二の故郷でテレビ中継されるような全日本クラスの競技が開催されることに嬉しさを感じる。たとえ郷土の選手でなくても、全ての選手を応援したくなるものだ。種類を問わず質の良いスポーツを全国の各地で開催することこそ、スポーツ振興のツボであるだろうことを体感した。
CNNに「外国から見た日本、東京訪問前に知っておくべき11のこと」という記事が載っていた。今年は海外からの来訪者が初めて1千万人を超えるとのことで興味を持って読んでみた。日本はおもてなしの文化だがチップは不要だということ。確かに海外へ行くとチップを渡すべきか、いくらにするべきか頭を悩ますことが多い。丁寧なサービスを受けてもノーチップだとは、外人から見るとユートピアにでも来たような気持ちになるのだろう。その他に、人も車も交通ルールを守るとか、歩きたばこは厳禁とか、電車とバスの利用はカード1枚でOKとか、日本人は当たり前と思っているが異様に映るのかもしれない。変わったところで、さまざまな料理にベーコンが入っている、というものがある。野菜サンドにハムが入っていたり、肉不使用のパスタにベーコンが散りばめられていたりする。日本では正真正銘のベジタリアンは殆んどいないが、海外には多い。インドでは牛を食べないしイスラムでは豚を食べないが、日本人は雑食で何でも食べる。ひるがえって自分について、他人は自分をどう見ているのだろうかと偶に考えることは、自分を良く知るための一つの方法でもありそうだ。
都知事選が3年連続で行われることになり、その費用は何と130億円になるという。果たしてこの金額が高いのか低いのか。誰が見ても高過ぎるに決まっている。2011年は慎太郎が連続4選を果たした年だ。この時既に慎太郎は任期を全うしないだろうと言われていた。案の定1年半で都知事職を投げ出し維新バブルに悪乗りした。首相の夢は儚く消え今ではショボい野党暮らしだ。猪瀬は慎太郎の後継指名を受け、有力な対立候補がない中でギネス記録に載るような大量票を獲得したが、これが傲慢さを生み孤立してしまったようだ。政治家ならば誰でも、選挙違反や収賄の定義は熟知している。こんな事も知らない候補に1票を入れた都民にも少しは罪がある。国際都市東京の知事に相応しかったのは笹川だったが、都民には無名だったようだ。都民は、能ある鷹は爪隠すという諺を知らなかったのかもしれない。猪瀬は退職金1千万円を返上しないと言う。投げ出した慎太郎と5千万円の猪瀬は、選挙費用に見合う仕事をしたのだろうか。選挙費用130億円をどう思っているのだろうか。
Juice=Juice、新里宏太、福田こうへい、杜このみ、と言われても、何をしている人なのか、どんな顔をしているのかもサッパリ分からない。聞くところによると、今月30日の日本レコード大賞最優秀新人賞の候補とのこと。日本レコード大賞といえば、5~6年前にコブクロが蕾で大賞を受賞した以降見たことがない。勿論誰が受賞したのかも知らないし興味もない。データによると、コブクロ以降はAKB48とEXILEが取り合いを続けているらしい。今年もこの2組が本命とのことらしい。考えてみると、日本のハヤリ歌はコブクロを最後に変質してしまったようにみえる。同賞の選考は、新聞社やテレビ局の音楽担当、音楽評論家や音楽プロデューサーなどの審査員が投票して決めることになっている。果たして、この人達はどのような観点で1票を投じるのだろうかと疑問に思えてくる。今年の最優秀新人賞選考日には、自分も心の中で1票を投じて、審査員との乖離程度を確認してみようと思う。
中央防災会議が首都直下地震の被害想定を8年ぶりに見直し発表した。東日本大震災前の想定とは大幅に異なり、マグニチュード7級の地震で、死者2万人以上、経済被害95兆円と被害は甚大だ。これを受け政府も企業も、非常事態時の業務継続計画や防災計画を見直すらしい。やっと大震災の教訓が生かされることになりそうだ。一方政府は民主党政権の「原発ゼロ」方針を転換するエネルギー基本計画案を公表した。安倍首相は原発ゼロを目指すと言いながら、原発を「基盤となる重要なベース電源」と位置付け再稼働を急ぐ方針だ。また秘密保護法案と同様に二枚舌を使っている。原発で一番問題なのは、福島原発事故の反省もそれに基づく改善計画もないことだ。また同じような大地震が見舞ったら福島原発と同じ悲惨な事故が起こることは目に見えている。大震災の教訓が全く生かされていない代表例だ。辞任した猪瀬が昔言っていた「日本人は忘れ易いんですよ」という言葉は核心をついている。
東京駅の近くで大学のクラス会があったので、少し早めに行き駅周辺を散策してみた。久し振りに東京駅周辺に行ったが、驚くことが多かった。まずエキナカの様変わりに驚いた。美味そうな食べ物やお土産物とそれを買う人で溢れかえっている。大丸も大きくなって綺麗になった。すっかり垢抜けてしまったことに驚いた。八重洲口側にはグランルーフという2階デッキが出来ていてイルミネーションで埋め尽くされていることにも驚いた。外堀通りを少し歩いて上を見上げると超高層ビルが上から伸し掛かってくるように感じて驚いた。八重洲ブックセンターの本の数の多さに圧倒された。最近はアマゾンで買ってしまうので、改めて本の多さに驚いた。クラス会には20名弱が集まり昔に返って楽しいひと時を過ごした。ただ自分を含め携帯はスマホではなくガラケー派がほとんどだ。今時スマホを持たない集団がいること自体に異様さを感じ驚いた。考えてみれば全員前期高齢者だ。「驚き」は「むべなるかな」に変わった。
新ポスティングシステムが日米間でやっと合意された。注目は何と言っても楽天のマー君だ。本人はメジャー移籍にやる気満々。ところが三木谷オーナーは「彼をポスティングにかける積もりはない」と言っていた。新制度がなければ60億円程度が見込まれていたが、新制度の入札額上限は20億円に抑えられてしまったからだ。三木谷はケチで通っている。産業競争力会議では市販薬のインターネット販売を巡り、利益誘導的な発言で顰蹙を買った。意見が通らなければ訴訟を起こすとか、委員を辞職するとか息巻いていた。要するに政商なのだ。ところが、儲ける為なら何でもしそうな三木谷が、マー君のポスティングを容認したとのニュースが飛び込んできた。考えてみれば当然だ。この先マー君が海外FAを取得したら1円も入らなくなる。それより目先の20億円。そう考えたのだろう。いずれにしても決着がつきマー君がメジャーに行くことは喜ばしいことだ。ピチピチの状態で移籍が出来れば来年活躍する姿が目に浮かぶ。SBの孫社長も言っている「なぜ世界の中心に来ないのか」と。活躍できる人は最高峰を目指すべきだと思う。
JR高崎線の北本駅と桶川駅の間に新駅を建設することの是非を問う住民投票が行われ否決されたとのこと。総事業費は72億円で市の負担は57億円。多額の税金を使って新駅を作るべきかが争われた。北本桶川間はたったの4kmなので新駅が出来たからといって大して利便性が良くなる訳ではない。賛成派は「新駅がないと若い世代がいなくなる」「通勤に利用したい」と言い、反対派は「福祉などにお金を回すべきだ」「人口減少の時代に税金の無駄遣いだ」と主張したようだ。投票率は62%で、投票者の4人に3人が反対票を投じたとのこと。これほど高い投票率で、かつ圧倒的に反対票が上回ったのは珍しい。愚かな市長がいても、賢い住民がいれば市政も真面に動くという好例だろう。今朝の日経には、平成の大合併をした地方自治体の多くが財政破綻の恐れがあり、合併しなかった自治体は健全なところが多いという記事が載っていた。これも同根だ。お上任せでは物事は良くならない。賢い住民が動けば市政は良くなる時代に入ったようだ。
舛添、小池、東国原、下村、橋本、池上、小泉という名前を聞いて何を思い浮かべるだろうか。これらは猪瀬の後釜として都知事候補の噂に挙がっている人物達だ。都知事という役職は大統領に似た権限がある。大統領といえば強力なリーダーシップ力が求められるのは当然だ。同時に東京都知事は世界有数の首都の長であるから、見識も品格も要求されることになる。我を通さず、かと言って妥協をせず、皆の意見を素直に聞き、高度な常識を持ち的確な決断が要求される極めて難度の高い職務に違いない。猪瀬は単発の問題解決能力はあるが一匹狼で人の意見を無視するので元々落第だった。慎太郎の後光が射したフロックな人生と言える。舛添は問題解決には優れているが自惚れが強すぎてフォローする人がいない。小池は期待する程の器量はなく視野が狭すぎる。東国原は庶民受けは良いが腰が定まらないし目的も定まっていない。下村が何故候補に挙がるのかが良く分からない。橋本はアスリートで言葉のキレも良いが知事としては未知数過ぎる。池上は過去の解説は上手いが未来を作り出す能力はあるのかないのか分からない。小泉は人を巻き込む能力がある。郵政改革は華々しかったが結局は元の鞘に収まってしまった。何もしなかったと同じことだ。7人とも一長一短あるが、消去法で選べば本命は小泉だろう。ただ問題は小泉が首相をした後に知事をやるのかと逡巡することだ。しかし都知事は大統領と同じと思えば、小泉にとっても更なる出世になるはずだ。国民は首相よりも強い大統領の出現を願っていると思うのだが。
来年4月から消費税が8%に引き上げられる。消費者庁は便乗値上げの情報を受け付ける電話相談窓口を開設したとのこと。だが既に便乗値上げを公言している大企業がある。JR東日本だ。消費税が5%から8%に上がると、130円切符は計算上134円になる。JR東日本は、Suicaは134円だが、切符は10円単位で切り上げて140円にすると言う。今時1円単位は時代に合わないので、使い易いように10円単位としたと言っている。確かに利用者の便宜を考えれば10円単位の方が良さそうだ。だが待てよ、と思う。確かに利用者にとって1円単位より10円単位の方が利便性がある。しかし何故「切り上げる」のだろう。ここに問題の根っこが有るようだ。本来は「四捨五入」すべきものだ。130円切符は134円だから130円に、200円切符は206円だから210円にと。一律で「切り上げる」ということは、まさに便乗値上げそのものと言える。だがこの横暴を消費者庁もマスコミも問題として何故取り上げないのだろう。何かが狂っている。庶民は文句は言わずSuicaを買っておけ、ということなのだろうか。仕方なく遂にSuicaを買うことになりそうな自分を憐れに思う。無理が通れば道理が引っ込むということか。残念。
今日は20m以上の風が吹き荒れた。強風の時はテニスには行かないことにしているが、今日は例外的に行くことにした。忘年会があるからだ。平日はテニスクラブの上手い人がボランティアでテニスを教えてくれる。集まるのは殆んどがビジターだが、面子は一定している。ビジターといっても同好会に近いし仲も良い。気が置けない人達ばかりで浮いた人は一人もいない。強風の中に20名ほどが集まった。猛烈な風の中で普段とは趣が異なるゲームを楽しんだ後忘年会が始まった。クラブハウスの2階は20名ほどがおしゃべりをしながら会食するには丁度良い広さだ。いつものように女性は自慢の料理を一品持ち寄り、男性はアルコールを持参する。テーブルには豪華な料理が並び、スパークリングワイン、赤白ワイン、日本酒、ウイスキーが隙間を埋め尽くす。大いに盛り上がりお開きになった。同好の友がいるということは財産の一つであることを実感した一日であった。
清水寺の貫主が書いた今年の漢字は「輪」だった。東京五輪開催決定や富士山世界遺産登録やサッカーW杯出場決定などで、日本中が輪になって喜んだり、相次ぐ自然災害に支援の輪が広がったからという理由が挙げられているようだ。このブログで11月5日に予想した今年の漢字は「倍」か「偽」だったが見事に外れてしまった。「倍」は惜しくも3位だったとのこと。「偽」が選ばれなかったのは結構なことだ。今年の漢字まで「偽」になると世の中が増々暗くなってしまいそうだ。ところが「偽」を選んだ国がある。台湾だ。今年の台湾は食品の安全問題が噴出し「假(偽)」「黒」「毒」「乱」等トップ10の殆んどが悪を意味する漢字だったとか。日本の「輪」には大勢の人が手を握りあい円滑に回転していくという意味があると清水寺貫主が言っている。来年も再来年も「輪」の効力が及ぶ社会になることを願いたいものだ。
機を見るに敏とは、好機を見極めるのが素早いという意味だが、これは敏だろうか。そのまんま東が維新を離脱した。日本維新の理念や方向性が変質し、自分の考え方と大きく離れたと言い訳しているが、本当だろうか。旧太陽系の合流から随分経った今に何故と思う。しかも維新の橋下市長は、東の離脱を歓迎しているという。理屈がかみ合わない。一方東京では猪瀬が、将棋で言えば詰んだ状況だ。頭を下げるのは時間の問題だろう。東は都知事選など考えていないと言う。ここには二つのウソがあると思う。維新が太陽と組んでから立候補したのだから、東は太陽と合わないという訳ではない。一緒になってから旧太陽の底力に対し何も出来ない自分に嫌気がさしたのだろう。また都知事選など考えていないとは言ってはいるが、橋下が東の離脱を歓迎した。ということは、維新が東京も手中に出来ると夢を見たからだろう。それにしても東国原という人間は、身が軽すぎる。機を見るに敏というよりは、隙を見たら戴きというイタチのような性分に見える。また東京都民の見識が試されそうとしているようだ。
JR西日本が日本初の列車安全システムを開発したとのニュースを見た。車両の床下の加速度センサーが脱線などの異常を感知すると運転者が操作しなくてもブレーキがかかり、同時にほかの列車に自動的に無線で異常を知らせて衝突するのを防ぐというものらしい。8年前のJR福知山線の脱線事故を教訓にして開発したとのこと。福知山線脱線事故では百名以上の尊い命が犠牲になり、裁判で刑事責任が争われたが、今年9月に神戸地裁はJR西日本の歴代社長3名に対し、無罪判決を言い渡した。遺族は裁判では報われなかったが、実質的に安全を勝ち取ったともいえる。JR西日本にとって、この安全システムを開発車両に留めることなく全ての車両に設置し安全を確保していくことが償いになるはずだ。日本一安全な鉄道になることこそ遺族に報いた証になるはずだと思う。
都議会の総務委員会で猪瀬が吊し上げられている。猪瀬には普段の傲慢な態度が見られず、まるで借りてきた猫のようだ。作家らしく、言い始めは「私は特に覚えておりませんが」という枕詞を使っているが、多用のし過ぎで語彙が貧弱だ。どうせ覚えていないと言うのならば、ロッキード事件重要参考人の小佐野賢治のように「記憶にございません」を連発した方が開き直っていてスッキリするのだが。猫になっても疑惑は増々深まるばかりになることが分からないようだ。借用書の存在について「これは間違いない事実です」と言うと「これは間違いなくねつ造です」と聞こえる。また都が徳洲会に便宜を図っていたことについて「恥ずかしながら知らなかった」と言うと「知り尽くしてました」と聞こえる。馬鹿を通してこの難関を切り抜けようとしているようだ。学生時代は新左翼でバリケードを築き、不惑の年から新右翼の大物と交流するという人生は無思想無節操といえる。5000万円の言い訳が余りにも幼稚過ぎる。作家としてのイマジネーションや構成力を疑う前に、人並みの常識があるのかを疑ってしまう。権力などにしがみ付かず、作家の勉強を一からやり直した方が良い人生が送れると思うのだが。
昨日は昔のテニス仲間とテニスを楽しんだ後に忘年会があり、久々に飲んでしゃべって歌っての楽しいひと時を過ごした。平塚で1泊し、今日は辻堂にある両親のお墓参りをした。両親が亡くなったのはもう20年前以上になる。10数年ぶりの墓参り。随分ご無沙汰したものだ。お花とお線香のことしか頭になく、お墓を掃除してから父の大好きなお酒を持ってくるのを忘れたことに気が付いた。母は舟和のイモ羊羹が好きだった。手を合わせながら、次回は忘れないからねと心の中で呟き、自分達家族は子供も孫も皆元気に育っていることを報告した。お墓とは大分疎遠になってしまったが、生きていた内は親にあまり苦労を掛けずに孝行していたので、まあ許してくれるだろう。両親の自分への不満は、生き方や性格ではなく、お酒や羊羹を忘れたことのようだ。安らかに眠っていることを確認した一日であった。
秘密保護法が成立してしまった。本質的な議論をすっぽかし、終始審議時間の短さだけを問題にした野党には呆れてしまった。挙げ句の果ては、例によって打ち上げのお祭り騒ぎだ。委員会では議長に詰め寄り自らの無能さをさらけ出した。参院本会議場では、恒例通りに、否決前提の内閣不信任決議案と参院国家安全保障特別委員長問責決議案と本法案担当相問責決議案が提出されて否決され、その後は何事もなかったかのように粛々と採決が行われシャンシャンとなった。大切なのは国会を1分1秒でも長く開かせておくことではなく、議論の掘り下げだというのに。この騒ぎで分かったことが二つある。一つは、国会議員の中で秘密保護法のあるべき姿を真剣に考えている者など一人もいないということ。もう一つは、この騒ぎが200兆円を使う国土強靭化計画法案成立のための隠れ蓑だったかもしれないこと。今頃二階がドヤ顔をしているのが眼に浮かぶ。
昨日から「歩きスマホはダメ」という子供専用アプリの提供が始まった。街頭や駅などで歩きスマホによるトラブルが後を絶たないことに対応しNTTドコモが開発したようだ。歩きスマホを検知すると画面に「危険です、歩きスマホ」と表示され、立ち止まるまで使えなくなるとのこと。一方、自動車運転中の携帯電話使用は罰則化された当時は取り締まりもあったが、今では取り締まりも風化してしまい、運転しながら携帯電話をしている姿を良く見かけるようになった。更に自転車スマホは、見かけない日がないほど常態化してしまっている。危険この上ない状況だ。もうここまで来ると悪しき社会現象が確立してしまったといえる。携帯電話事業者は、今までは通信サービスを提供すれば事業の責務は果たしていたといえたかもしれない。しかし悪しき社会現象を生ませた以上携帯電話事業者にも責任の一部があるのは間違いない。大人の歩きスマホについても、運転しながらのスマホについても、撲滅キャンペーンや使用停止アプリの開発提供などを駆使して防止することも携帯電話事業者がやらねばならぬ仕事に含めるべきだ。携帯電話事業などのサービス業にも製造物責任法を適用すべき時代がもうそこまで来ていると思う。
最近のある事で、落語の「浮世床 変な軍記」を思い出した。「変な軍記」の粗筋は以下の通り。姉川の合戦で五尺三寸の大太刀を振るって活躍した真柄十郎左衛門を書いてある太閤記を読んでいた吉公に、周りの人たちが読んでくれと頼む。「真柄は立ち向かって一尺八寸の大刀を」「オイオイ、一尺八寸のどこが大刀だよ?」「そこは但し書きが書いてある『一尺八寸とは刀の横幅なり』」「馬鹿! そんな戸板みたいな刀があるかい!第一、前が見えないだろ?」「そこはもう一つ但し書き。『刀には窓が付いていて、敵が来たらそこから覗く』」。最近のある事とは、特定秘密保護法案の審議内容だ。採決間近に来て新造語のオンパレードだ。秘密指定の基準がないと言われ「情報保全諮問会議」、解除の基準がないと言われ「情報保全監視委員会」、公文書の破棄の可否を判断する機能がないと言われ「独立公文書管理監」を設置すると言い出した。特定秘密保護法案は国民にとって極めて重要な法律であるのに、余りにも杜撰すぎる。継続審議か廃案にすべきだろう。もし成立すれば「浮世国会 大太刀法案」という落語の新作が誕生するかもしれない。
日本では首相の言う事よりも、おでんやのおかみの方が筋が通っているようだ。首相のかみさんであるアッキーは、事ある毎に自宅で首相に対し正論を繰り広げているとのこと。福島原発事故を目の当たりにして原発輸出は止めてと言い、消費増税は庶民を苦しめるから止めてと言い、一度も開かれない日韓首脳会議を横目で見ながら日韓民間交流を推進し、国が推進する東北の馬鹿げた防潮堤建設について、地元住民の反対の声も聴いて再考しろと迫る。野党の党首よりもよっぽど実務的で効果も大きそうだ。家庭内野党党首と言える。腰の定まらない維新もみんなも民主も、アッキーを奉れば野党連合も夢ではなさそうだ。いま国会では秘密保護法案で揉めている。安倍は充分審議を尽くしますとは言っているが、6日には可決する心積もりの二枚舌だ。このことは誰でも承知だが、もしアッキーが安倍は二枚舌だと言えば、法案成立が延びることは間違いない。つまり野党党首はおでんやのおかみより劣るぐうたら野郎ということだろう。ぐうたらには如何なるものの流れを変えることは出来ない。ここにも日本の悲劇がある。
ボクシングの世界王座認定団体と階級が乱立して華々しい。本家の世界ボクシング協会WBAに加え、世界ボクシング評議会WBC、国際ボクシング連盟IBF、世界ボクシング機構WBOと4つもある。昔に較べチャンピオンの数が増えて大安売り状態だ。そんな中で世界スーパーフライ級のWBAとIBFのチャンピオン同士が戦う統一戦が行われた。WBAソリス対IBF亀田大毅。ソリスは減量に失敗し体重オーバーで試合前にタイトルを剥奪された。それでも試合は成立し、ソリスが勝てば大毅のIBF王座のベルトが奪われ、大毅が勝てばWBAとIBFの統一王座になると言われていた。試合はソリスが終始リードし、大毅は殆んど手が出なかった。結果はソリスの勝ちという順当な判定だった。大毅が無冠に転落したと思ったら、今朝のニュースでは一転してタイトル防衛とある。試合終了後立会人がIBFルールを持ち出し「相手が体重オーバーの場合、王者は勝っても負けても王座を保持すると書いてある。従って大毅は負けたけれど、王座を防衛し王者のままだ」とクレームをつけ、認定が覆ったとのこと。IBFが相当いい加減な団体であることがバレてしまったようだ。いま大毅が保持するベルトはIBF世界スーパーフライ級なーんちゃってチャンピオン。最近の世界ボクシング業界も日本の食品偽装業界と似ているように思えてきた。
キャメロン英首相が、中国の人権問題と覇権主義に目を瞑り英中の経済協力拡大に大転換すると表明した。数か月前はダライラマとも会談しチベット独立の味方だったのに、手のひらを返したように敵に回った。また中国の覇権主義で困っている東南アジア諸国を見限り中国の南シナ海領土覇権を認めた。英国にはノブレス・オブリージュという言葉がある。権力のある者は社会の模範となる社会的責任があるという意味だ。英国は世界に対しても社会的責任がある立場だ。キャメロンは英国首相と言う地位にありながら社会的責任という魂を売って守銭奴に化してしまったようだ。何故か昔高校で習った英国の東インド会社を連想させる。東インド会社といえば、世界中に植民地を作り現地人を虐げながら富を搾取した悪名高き国策会社だ。キャメロンから見れば、中国もチベットも東南アジア諸国も植民地に映るのだろう。その中で中国だけが富を持っているので、まずは取り込み、その他はカスとでも認識しているのだろう。今回の経済協力拡大で英国は一時的には景気が良くなるだろうが、きついしっぺ返しが待ち受けているはずだ。同時にキャメロンの歴史的評価がどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。
今年3度目の腰痛に見舞われた。3月は洗車している時に、右腰後ろの筋肉が緊張したと同時に力が入らなくなり、その後猛烈に痛くなり寝返りも出来なくなった。6月は中腰にならないよう用心していたが、ふとした時に同じ場所で同じことが起きた。そして先日はお茶の稽古で点前をしている時に発症した。30分程度正座した後に動こうとした時に同じ場所で同じことが起きた。幸か不幸か今回は軽症で、1週間ほどで動けるようになった。どうやら筋筋膜性疼痛症候群らしい。過負荷により筋肉が微少損傷を受けるとその部分の筋肉が収縮するが、その後過負荷を続けたり冷やしたりすると収縮が戻らなくなり痛みを発生し続けるとのこと。今回の発症前は前屈すると手のひらが地面につくほど柔軟だったが、今は指先がやっと地面につくくらいに身体が硬くなってしまった。元凶は右腰後ろのトリガーポイントだ。収縮した筋肉を戻すには、鍼や注射が効くようだが、自分は適度な運動とストレッチで治すことにした。災い転じて福となすよう健康な身体を心がけようと思う。