日本の原発物語

1945年日本に原爆が投下され、その威力に驚き毛沢東が原爆の入手を渇望した。1964年中国はソ連の技術供与を受け初の核実験を行った。これに驚いた佐藤首相はジョンソン大統領に「米国が日本を中国による核攻撃から守ると約束しない場合は、日本が自分で核兵器を作る」と交渉した結果、日本は米国の核の傘下に入ることになった。その後佐藤は「核兵器なしの核の抑止力を持つために原発を作りプルトニウムを備蓄する」即ち「日本はいつでも核兵器を作ることが出来るという核カードを持つ」国家戦略を立てて推進した。その後50年間日本はこの戦略を見直すことなく突っ走り、現在は原発54基、プルトニウム45トン保有という結果をもたらしている。日本の宇宙開発が優れているのも同じ理由からだ。この50年間世界冷戦も終わり、何度もこの国家戦略を見直す機会はあったが、見直しは一度もなされなかった。東日本大震災でやっと原発の作り過ぎに目が覚めたのが現状だ。今こそ国家百年の計を立てる時だ。第二の佐藤の出現が望まれている。