善と悪

テレビドラマのように首都圏連続不審死事件の裁判員裁判で、殺人などの罪に問われた被告が死刑判決を受け、そして控訴した。この事件の被告は限りなくクロには見えるが確たる物証はない。芥川の羅生門のように真実は闇の中だ。こういう事件があると何時もこう思う。人間はオール白でもないしオール黒でもない。人は善い事もするけど悪い事もする動物だ。人にやさしい部分もあるし冷酷な部分もある。オール善い人もいないしオール悪い人もいるはずがない。善いというラベルは善いと感じられた時だけ臨時に張られ直ぐ剥がされるが、しかし悪いというラベルは一度貼られてしまえば一生つきまとう性質がある。例えば鈴木宗男は刑罰を受けたが支持者は多いし娘はいい父さんと信頼しているが、ラベルは悪。亀井静香だって政治界では消え去るべきドンではあるが絵が趣味で娘からは愛されているが、政治的ワル。自分は良い事も悪い事も時々しないとは言わないが、悪いラベルだけは張られぬようには心がけている。従って透明。かつて、先の死刑判決を受けた被告と一時暮らした経験のある人は、その被告と暮らした僅か1週間が人生最良のときであったとも言っているらしい。悪人は全てが悪ではないし、善人もまたしかり。